鮮卑の先祖

秦始皇遣蒙恬築長城、徒士犯罪、亡依鮮卑山、後遂繁息。今皆髡頭衣赭、亡徒之明效也。
(応劭『風俗通』佚文)

『風俗通』四夷篇(篇名は伝わるが本文は伝わっておらず佚文が幾つか残されているだけ)によると、始皇帝蒙恬を北方に派遣して長城を作らせたが、その労働力となった刑徒が逃亡して鮮卑山に立て籠もったという。


どうやら、いわゆる鮮卑の由来がこの刑徒だということらしい。


鮮卑が頭を剃り赤い衣を身に着けるのは刑徒の装いを引き継いだのだ、という。



ということは元は中原の民だったことになる。

後漢書』なんかでは収録されておらず、応劭もそれを肯定したのかどうか分からないが、面白い言い伝えだと思う。