山陽

黃初元年十一月癸酉、以河內之山陽邑萬戸奉漢帝為山陽公、行漢正朔、以天子之禮郊祭、上書不稱臣、京都有事于太廟、致胙。封公之四子為列侯。
(『三国志』文帝紀

魏王曹丕が漢の皇帝劉協より禅譲を受けて皇帝に即位すると、元皇帝だった劉協を山陽公とした。

この山陽は、てっきり兗州山陽郡のことかと思っていたら河内郡にある山陽邑のことであるらしい。

山陽邑。有雍城。有蔡城。
(『続漢書』郡国志一、司隸河内郡)

この「邑」は「県」と同格。
太后や公主などの領地となっている場合の呼び方の「邑」。