魏延の最後についての妄想

妄想なので真に受けない事。


三国志』によると諸葛亮死後、魏延諸葛亮亡き後の軍の指揮を楊儀が執ることに不満を持って指揮下に入らず、造反を始めて北伐を継続しようとした。しかし費禕の裏切りに遭い、他の諸将も彼を支持せず、成都の蔣琬らにも見放された。楊儀王平を当たらせると、魏延は配下の兵の動揺もあって蹴散らされて討たれた。
ぶっちゃけ惨めな最期である。

しかし、魏延は北伐続行にそんなに自信があったのだろうか。
総大将にして実質的な蜀の君主と言っても過言ではない諸葛亮が死亡した直後、無理に北伐を続行しても将兵の動揺は無視できないと思うのだが。
それなりに経験のあった将軍の彼がそこを気にしなかったのだろうか。


それと、魏延費禕の話の中で、魏延は「丞相の側近は先に帰って葬式してろ。俺は北伐を続ける」と言っている。
そして費禕が「楊儀は説得すれば従うでしょう」と言うと、魏延はそれを信じて説得に当たらせ、そして騙されるのである。
これはつまり魏延は当初仇敵楊儀を殺害、排除しようという気までは無かったということである。
魏延が同士討ちの暴発にまで及ぶのは、費禕に騙されて逃げられ、楊儀たちが諸葛亮の「魏延が命に従わなかったら置いていけ」という遺言どおりにしてから。自分が捨てられたことに気づいたから激怒して暴発したのであろう。
魏延を暴発に追い込んだのは諸葛亮の遺言だとも考えられる。

(おそらくは)陣中での急変で時間がない中だったことを考慮しても、諸葛亮の「魏延は置いていけ」と命に従わない可能性を前提にした指示は少々乱暴で中途半端はないだろうか。
そこまで信用できないなら初めから更迭または召喚して捕縛または殺害でもしてしまったほうが被害は少ない。
実際には、いたずらに兵を減らし、桟道を焼き、敵国を喜ばせる最悪の結果になってしまっているではないか。

魏延置いてけぼりは本当に諸葛亮の指示だったのだろうか?


諸葛亮が陣没すると楊儀費禕姜維という諸葛亮の側近諸葛亮の指示を受けて軍を指揮した。
何故か、私はこのことと秦の始皇帝が死んだ時に側近だった趙高と李斯が実権を握った件がダブって見えてしまう。