奇乞

蒙驁、王齮、麃公等為將軍
(『史記』秦始皇本紀)

二年、麃公將卒攻卷、斬首三萬。三年、蒙驁攻韓、取十三城。王齮死。
(『史記』秦始皇本紀)

秦の将軍、王齮([歯奇])。
この人は秦の始皇帝こと秦王政の即位直後に蒙驁、麃公らと共に王の将軍として名前が挙がっているが、その後は特に出番もなく3年後に死亡している。

これではただの役立たずではないか、と言うなかれ。


この人は秦始皇本紀注に「王齮即王齕」とあるように、王齕([歯乞])と同一人物と思われるのである。
(『史記呂不韋列伝には「秦昭王五十年、使王齮圍邯鄲」とあるが、この時に邯鄲を攻めたのは『史記』秦本紀などでは王齕の事績となっている。)


王齕はあの長平の戦いにおいてあの将軍白起の副将を務めるなど、秦の始皇帝より少々早い時代に趙方面を中心に活躍した。


余談だが、秦の始皇帝の時代を題材とした某マンガでは主役が「王騎」という名前だが、経歴は王齕に重なる部分がある(白起の副将)一方で、「六大将軍」なる将軍として王騎とは別に王齕がいたことになっている。

そのマンガが『史記』等の内容に即しているならば、王騎は字形の似ている王齮を参考に生まれた存在で、一般には王齮=王齕とされていることを知りつつ王齕とは別に王騎を設定したことになる。