洛陽と皇子

「先帝以來、無子王於雒陽者。去雒陽、餘盡可」
(『史記』三王世家)

漢の武帝は寵姫から子を洛陽の王にしてとおねだりされたが、「洛陽だけはダメ」と却下した。

前漢において、宗室の三河太守の禁と同様に、皇帝以外の劉氏はたとえ皇子であっても洛陽近辺の支配者にはしない、という掟が存在していたようである。