三国志好きの一部では人気の将、羅憲。彼の活躍は主に『襄陽記』に書かれているんだが、これの著者習鑿歯の「舅」(たぶん母の兄弟の方)が羅氏。つまり羅憲と同族。羅憲の記述が全部嘘、などとは言わないけど、そういう関係を踏まえて羅憲の記事を読まない…
今兩府高士俗不為主簿。 (『漢書』孫宝伝) 両府というのは、この時の孫宝がいたのが御史府であったことから考えるとおそらく丞相府と御史府。属僚の中でも、主簿というのがどういうポジションだったのかというのがちょっと見える。
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