建安十五年十二月己亥令を読んでみよう:その1

唐突だが、後漢末建安15年に曹操が出した「十二月己亥令」について検討してみようと思う。



まず前提として、この年はあの赤壁の戦いから2年ほど経っている時期であり、また数年前に曹操は「負けた将は罰を与え爵位を奪う」との命令を出している、ということがある。



おそらく今から読む令はそれらを踏まえたものである。

続きを読む

ひとこと

いわゆる孫呉において、「呉侯」は「孫策の子孫」、「太子孫登の子孫」、「魯王孫覇の子孫」という順で封建されてるのか。



前の系統が取り潰しになると、その時において「当時の天子から見て特別扱いすべき血統」に対して贈られる、みたいになってたのかもしれない。



孫覇の子孫というのもあの二宮事件を考えると特別な血筋と言えるし。

くる年

あけましておめでとう。


今年もよろしく。





あれ・・・2008年開始だから、2022年って足掛けでは15年目なのか・・・?




大した事はしていないとはいえ、ずいぶん続いてるものだ。


半ば驚き、半ば呆れる。我ながら。