忖度刺史

ツイッターにて知った話。

建安二十四年、孫權攻合肥、是時諸州皆屯戍。(温)恢謂兗州刺史裴潛曰「此閒雖有賊不足憂、而畏征南方有變。今水生而子孝縣軍、無有遠備。關羽驍鋭、乗利而進、必將為患。」
於是有樊城之事。
詔書召潛及豫州刺史呂貢等、潛等緩之。恢密語潛曰「此必襄陽之急欲赴之也。所以不為急會者、不欲驚動遠衆。一二日必有密書促卿進道、張遼等又將被召。遼等素知王意、後召前至、卿受其責矣!」潛受其言、置輜重、更為輕裝速發、果被促令。遼等尋各見召、如恢所策。
(『三国志』巻十五、温恢伝)

関羽による樊城攻めの時、予州刺史や兗州刺史らにも襄陽へ向かうよう命令が下ったが、兗州刺史裴潜に対しては「急がなくていい」との命令だったという。



しかし、裴潜に対して揚州刺史温恢が「遠くの州まで急行させて人々を驚かせたくないから急がなくていいと言っているだけで、あと数日もすれば急行するよう密書が下るだろう。同じような命令を受けた張遼らは最初から魏王の本意を読んで急行の準備をしておくだろうから、こちらより後に召集を受けても先に着くかもしれない。こちらが後から命令を受けた張遼らより遅く到着しては責めを受けてしまう」と言うので、裴潜は最初から全速力で急行する事にした。


果たして、全て温恢の言った通りだったという。




これ、よくよく考えると「魏王の命令通りにしていたら責めを受ける。命令文とは逆の魏王の本意を忖度し、命令文とは逆の最初から急行するつもりの用意をすれば責めを受けない」という事になっているのではないか?




何と言うか、命令文の裏を読まないといけない、というのは法家や兵家の作法じゃないんじゃないか、という気がしてならない。