審食其の正体

高祖兄弟四人、長兄伯、次仲。伯蚤卒。
高祖既為沛公、景駒自立為楚王。高祖使仲與審食其留侍太上皇、交與蕭・曹等倶從高祖見景駒、遇項梁、共立楚懷王。因西攻南陽、入武關、與秦戰於藍田。至霸上、封交為文信君、從入蜀漢、還定三秦、誅項籍。
(『漢書』巻三十六、楚元王交伝)

漢の高祖劉邦が挙兵して間もなくの事、楚王を名乗った景駒の元へ合流しようという高祖は、父劉太公(太上皇)に兄劉仲と審食其を付けて沛に残した。





この劉邦が沛公になった直後という段階から審食其は高祖劉邦の家の内向きの事に関わっていた。



もしかして、審食其は元々劉氏に従う執事みたいな人間とかだったんだろうか?