紹封

夷安侯珍子(訒)康、少有操行。兄良襲封、無後、永初六年、紹封康為夷安侯。時諸紹封者皆食故國半租、康以皇太后戚屬、獨三分食二、以侍祠侯為越騎校尉。
(『後漢書』列伝第六、訒禹伝)

後漢建国の功臣訒禹の子である夷安侯訒珍の子の訒良は後継ぎがなく、いったん列侯の国(夷安侯国)は断絶した。



そこで人柄に定評のあった弟訒康に国の復興を許すこととなった。



これを当時の制度では「紹封」と呼んでいたようだ。




この「紹封」では受け取るべき租税は断絶前の本来の国の半分という通例であったが、今回の訒康は皇太后の親族ということで三分の二を受け取ることを許されたのだという。





列侯はちゃんと相続できないとすぐ取りつぶしになり、復活を認められたとしても大損してしまうようで、なかなか厳しい世界である。