投降兵しまっちゃうおじさん

(甘露三年)二月乙酉、攻而拔之、斬(諸葛)誕、夷三族。呉將唐咨・孫曼・孫彌・徐韶等帥其屬皆降、表加爵位、廩其餒疾。
或言呉兵必不為用、請坑之。帝曰「就令亡還、適見中國之弘耳。」於是徙之三河
(『晋書』巻二、文帝紀

司馬昭諸葛誕を滅ぼして乱を鎮圧した時、呉が諸葛誕の援軍にと出していた将兵を降伏させていた。




それについて「呉の兵はわれらのために働かないでしょうから、みんな穴の中にしまっちゃうといいと思います(婉曲)」とその兵士たちの「処分」を求める声があった。



役に立たないのであれば費用はかかるし下手すればまたこちらに敵対するかもしれないしで、これ以上保持する理由がないわけである。




だが司馬昭は「逃げ出して呉に戻ったら戻ったで、こちらの広い心を見せつけることになるだけだ」と言って呉兵しまっちゃうおじさんにならず、兵たちを三河(河南・河内・河東)に強制移住させたのだった。






もはや晋と言ってもいいくらいの魏末でも「降伏者は穴の中」という発想があるのだから、数十年前にもそういうこと*1は起こっていたのだろうなあ・・・。





*1:言うまでもなく直接的には官渡の戦いを指す。