魏王朝の人妻狩り

太子舍人張茂以呉・蜀數動、諸將出征、而帝盛興宮室、留意於玩飾、賜與無度、帑藏空竭。又録奪士女前已嫁為吏民妻者、還以配士、既聽以生口自贖、又簡選其有姿色者内之掖庭、乃上書諫曰・・・(後略)・・・
(『三国志』巻三、明帝紀、青龍三年、注引『魏略』)


『魏略』によると、魏の明帝の時には兵士の娘が兵士ではない役人や民の妻となっていた場合、離縁させて改めて兵士の妻にするという命令があったらしい。



また、その際には例外として自分の捕虜を代償として供出することで強制離縁を避けることができたとか、見目麗しい女性だった場合には後宮に入れられるとかといった制度もあった模様。






これはつまり「兵士の子は兵士」を徹底させようっていうアレやね。きっとね。



兵士の娘が地位や財産のある役人や民(十分な財産を有する自由民)の妻となることで、その妻の実家である兵士の家も余沢を蒙って兵士の身分を脱することが期待できたのではないかと思うので、この強制離縁はそういった望みを絶つことになったはずだ。






魏王朝では未亡人狩りどころか人妻も狩っていたというお話し。