63銭

二月、詔曰「欲省賦甚。今獻未有程、吏或多賦以為獻、而諸侯王尤多、民疾之。令諸侯王・通侯常以十月朝獻、及郡各以其口數率、人歳六十三錢、以給獻費。」
(『漢書』巻一下、高帝紀下、高祖十一年)

漢の高祖の時、高祖はこんな詔を出した。



「ワシは民からの徴税や賦役は減らしたいと思っとるんや。

 しかし今は郡や諸侯がワシに貢物を献上するにも制度っちゅうのがないもんやから、役人も諸侯もムチャしよって民が苦しんどるわ。

 ワシは決めたで!諸侯王や列侯は毎年10月に貢物を出すんやで。それと郡は献上する貢物の費用を毎年人口一人当たり63銭にするんやで」



あえて大袈裟に言うなら、こうやって「貢物はこれだけでいいから、その代わりちゃんとその分は出しなさい」と決めたことで、諸侯王と郡との両方をキッチリとカタにハメる第一歩を踏み出したのかもしれない*1

*1:まあ、たぶん言い過ぎ。