金の馬、碧の鳥

或言益州有金馬碧雞之神、可醮祭而致、於是遣諫大夫王襃使持節而求之。
(『漢書』巻二十五下、郊祀志下)

前漢宣帝は「益州に「金馬碧雞の神」がある」と聞いて蜀の人間王襃を使者として遣わしそれを探させた。発見できなかったらしいが。

青蛉。臨池灊在北。僕水出徼外、東南至來惟入勞、過郡二、行千八百八十里。有禺同山、有金馬、碧雞。
(『漢書』巻二十八上、地理志上、越嶲郡)

青蛉縣禺同山有碧鷄金馬、光景時時出見。
(『後漢書』列伝巻七十六、南蛮伝)


その「金馬碧雞」は蜀の越嶲郡青蛉県の禺同山にあったそうだ。
その光を見ることが出来た、という説明からすると、どうやら山中に置かれていて普段は人間が近づくことも難しかったのだろう。
おそらく金で出来た馬の像と、碧玉で出来た鶏の像だったと思われ、なんらかの祭祀等に使うアーティファクトだったのではなかろうか。


もしかすると、三星堆遺跡などに見られるような古代蜀文明の遺物なのかもしれない。