五人目の将軍

其明年春、大將軍(衛)青出定襄、合騎侯(公孫)敖為中將軍、太僕(公孫)賀為左將軍、翕侯趙信為前將軍、衛尉蘇建為右將軍、郎中令李廣為後將軍、右内史李沮為彊弩將軍、咸屬大將軍、斬首數千級而還。
(『史記』巻一百一十一、衛将軍驃騎列伝)


実は以前にもネタにしたことがあるが、敢えてもう一度出しておこう。





いわゆる「前後左右将軍」だが、どうやら当初は「前後左右中将軍」だったようだ。




左将軍やら前将軍やらに混じって「中将軍」も任命されている。





なんで中将軍だけこの後使われないままになるのか分からないが、もしかしたら「中」に「中書」「中丞相」などの例に見えるような「宮中」みたいな意味合いがあった事から、左将軍などと同等の称号としては避けられたのかもしれない。