春秋戦国の王侯にも負けない

至孫(劉)定國、與父康王姫姦、生子男一人。奪弟妻為姫。與子女三人姦。定國有所欲誅殺臣肥如令郢人、郢人等告定國、定國使謁者以他法劾捕格殺郢人以滅口。至元朔元年、郢人昆弟復上書具言定國陰事、以此發覺。詔下公卿、皆議曰「定國禽獸行、亂人倫、逆天、當誅。」上許之。定國自殺、國除為郡。
(『史記』巻五十一、荊燕世家、燕王劉沢)


漢の高祖の遠い親戚とされ、呂后の時代に王となった劉沢は最終的に燕王となり、三代目まで国を伝えた。



だが三代目の燕王劉定国はとんでもない人物だったらしく、父の側室をアレして子供を産ませ弟の妻を奪って自分の側室とし、自分の娘の三姉妹とも関係を持ったのだという。




またこの王は彼のことを告発しようとした自分の領内の県令を口封じに殺害した。




まあ、こんなことが皇帝に伝わったら大変である。





結局最終的には皇帝の知るところとなり、臣下も「禽獣と変わらぬ行い、人倫を乱し天に逆らう」と極刑を要求。


大抵の場合は臣下からの諸侯王についての厳罰要求に対して多少甘い処分にすることの多い皇帝も、今回ばかりは極刑を認める、というくらいの酷さであった。






春秋戦国時代もかなりキてる王侯がいたが、コイツはその中に入れても遜色ないヤバさじゃなかろうか。

少ない文章量なのに相当なアレさ加減だというのがわかるのが凄い。