チック王自大

夜郎者、初有女子浣於遯水、有三節大竹流入足輭、聞其中有號聲、剖竹視之、得一男兒、歸而養之。及長、有才武、自立為夜郎侯、以竹為姓。武帝元鼎六年、平南夷、為牂柯郡、夜郎侯迎降、天子賜其王印綬。後遂殺之。夷獠咸以竹王非血氣所生、甚重之、求為立後。牂柯太守霸以聞、天子乃封其三子為侯。死、配食其父。今夜郎縣有竹王三郎神是也。
(『後漢書』列伝第七十六、西南夷伝、夜郎

以前記事にした「竹王」。



これは漢の武帝の時に漢に従い、後に滅ぼされた「夜郎」(「夜郎自大」の夜郎である)だが、どうもこれらを読む限りでは竹から生まれた王自身が武帝に従って殺されたように思える。




竹から生まれた王その人が「夜郎自大」だったとしたら中々面白い。