猟官運動

子(臧)艾嗣。艾官至青州刺史、少府。
【注】
魏書曰艾少以才理稱、為黄門郎、歴位郡守。
(『三国志』巻十八、臧覇伝)

三国時代臧覇の後継ぎである臧艾は、才能があり黄門郎から郡太守を歴任、青州刺史、少府に至ったという。





(訒)颺為人好貨、前在内職、許臧艾授以顯官、艾以父妾與颺、故京師為之語曰「以官易婦訒玄茂。」 毎所薦達、多如此比。故何晏選舉不得人、頗由颺之不公忠、遂同其罪、蓋由交友非其才。
(『三国志』巻九、曹爽伝注引『魏略』)


曹爽の一派として知られる訒颺は、かつて内職(中書郎であったことを指すか)にあった時、臧艾が顕官(黄門郎のことか?)に就くことを許し、そのお礼に臧艾から臧艾の父の妾を贈与された、という。



言うまでもないが臧艾の父ということは臧覇のことである。




臧覇の息子臧艾の評判と官位は、こういった「努力」によって築かれたものだったのかもしれない。