三国時代の臧覇の後継ぎである臧艾は、才能があり黄門郎から郡太守を歴任、青州刺史、少府に至ったという。
(訒)颺為人好貨、前在内職、許臧艾授以顯官、艾以父妾與颺、故京師為之語曰「以官易婦訒玄茂。」 毎所薦達、多如此比。故何晏選舉不得人、頗由颺之不公忠、遂同其罪、蓋由交友非其才。
(『三国志』巻九、曹爽伝注引『魏略』)
曹爽の一派として知られる訒颺は、かつて内職(中書郎であったことを指すか)にあった時、臧艾が顕官(黄門郎のことか?)に就くことを許し、そのお礼に臧艾から臧艾の父の妾を贈与された、という。
言うまでもないが臧艾の父ということは臧覇のことである。
臧覇の息子臧艾の評判と官位は、こういった「努力」によって築かれたものだったのかもしれない。