暗殺朝廷

張華博物志曰、漢世、安平崔瑗・瑗子寔・弘農張芝・芝弟昶並善草書、而太祖亞之。桓譚・蔡邕善音樂、馮翊山子道・王九真・郭凱等善圍棊、太祖皆與埒能。又好養性法、亦解方藥、招引方術之士、廬江左慈・譙郡華佗・甘陵甘始・陽城郄儉無不畢至、又習啖野葛至一尺、亦得少多飲鴆酒
(『三国志』巻一、武帝紀注引『博物志』)

曹操は「鴆酒を多少飲むことができた」という話が伝わっている。




曹操スゲー!っていうのは当然として、ここで問題になるのは「なぜ曹操鴆酒を飲んでも死なないということがわかったのか」だと思う。




曹操が熱心に方士を招いて学んでいたらしい養生法や薬の知識で何とかできたとしても、有名な毒薬を自ら口にするなんてかなりの危険な行為ではないか。





誰かが暗殺目的で毒酒を曹操に飲ませることに成功したけれど生き延びた、ということがあったんじゃなかろうか。