糟糠の妻の修羅場

黄允字子艾、濟陰人也。以儁才知名。
(郭)林宗見而謂曰「卿有絶人之才、足成偉器。然恐守道不篤、將失之矣。」
後司徒袁隗欲為從女求姻、見允而歎曰「得壻如是足矣。」允聞而黜遣其妻夏侯氏
婦謂姑曰「今當見弃、方與黄氏長辭、乞一會親屬、以展離訣之情。」於是大集賓客三百餘人、婦中坐、攘袂數允隱匿穢惡十五事、言畢、登車而去。允以此廢於時。
(『後漢書』列伝第五十八、郭太伝)

後漢に黄允という人がいた。



彼は評判の名士郭泰によって「貴方は素晴らしい才能がある。しかしスキャンダルでジョイナスできないんじゃないかね」と評されたという。




その後、かの汝南袁氏の司徒袁隗が自分の一族の娘の嫁ぎ先として彼に目をつけ、「こんな男が婿なら十分だな」と言った。


それを聞きつけた黄允は、現在の妻夏侯氏を離縁させて袁氏の縁談を待つことにしたのである。




夏侯氏は姑に対して「これにてお別れでございますので、ご親戚一同にご挨拶したいと思います」などと殊勝なことを言うものだから、親戚賓客三百人を集めた大集会が催された。


そしてその場で夏侯氏は夫黄允の隠していた悪事や醜聞を15件も暴露してから華麗に去っていった。




スキャンダルまみれとなった黄允の政治生命はここで絶たれたのであった。





この頃ってこういった「権門などと縁続きになるために今の妻を離縁する」ってことが少なくなかったのだろうか?*1


もしかしたら、「長子なのに何故か嫡子扱いされない子」の中にはこのような形で離縁された前妻の子もいたりするのかもしれない。




*1:光武帝と宋弘の妻のエピソードからは、そういうことは割とありえたようにも思える。