脱走兵

鼓吹宋金等在合肥亡逃。舊法、軍征士亡、考竟其妻子。太祖患猶不息、更重其刑。金有母・妻及二弟皆給官、主者奏盡殺之。柔啓曰「士卒亡軍、誠在可疾、然竊聞其中時有悔者。愚謂乃宜貸其妻子、一可使賊中不信、二可使誘其還心。正如前科、固已絶其意望、而猥復重之、柔恐自今在軍之士、見一人亡逃、誅將及己、亦且相隨而走、不可復得殺也。此重刑非所以止亡、乃所以益走耳。」太祖曰「善。」即止不殺金母・弟、蒙活者甚衆。
(『三国志』巻二十四、高柔伝)

後漢末、曹操の元にいた高柔が丞相理倉掾だった時の話。


孫権の拠点だった合肥で宋金という兵が逃亡した。

兵士が逃亡した場合、その妻子は捕まりぬっ殺される運命であったが、曹操の政権内では兵士の逃亡を防止するためにその罰を更に重くしようとした。宋金の母・妻・弟を全員殺そうとしたのである。

だが高柔はそれに反対した。

「逃亡した兵卒にも後悔する者がいると聞きますので、妻子を助けてやった方がいいです。敵中に脱走兵に対する不信感を与える*1ことが出来ますし、脱走兵を戻るように誘う効果もあります。もし今のようにガンガン処刑していったら逃亡兵たちは絶望してもう戻ってこないし、罪をみだりに重くしていくと、脱走兵が一人発生したら指揮官たちも罰を受けるのを恐れて続々と逃亡してしまうようになってしまいます」

曹操は「あーなるほどねー」と納得して宋金の母と弟を殺すのを止め、その後も殺されずに済んだ者が多かった。



当時の逃亡兵とその家族への待遇。


高柔は「脱走兵の妻子を助けてやれ」と言っているけれど曹操が助けているのは宋金の母と弟だけなので、宋金の妻はバッチリ殺されてしまったらしい。


*1:「えっ家族が向こうで元気してるってことはコイツ結局は俺達を裏切って戻るんじゃね?」って思わせるということだろう。