exodus

呉の孫権がよく虎狩りに出かけるなど虎と戯れていたのは有名である。

しかし、あの時代の江東はそんなに虎だらけだったのか、と疑問に思う人もいるだろう。


このたび、孫権がエンドレス虎狩りをしなければいけないくらい江東が虎だらけにになった理由がわかったので記しておく。


遷九江太守。郡多虎暴、數為民患、常募設檻穽而猶多傷害。(宋)均到、下記屬縣曰「夫虎豹在山、黿鼉在水、各有所託。且江淮之有猛獸、猶北土之有雞豚也。今為民害、咎在殘吏、而勞勤張捕、非憂恤之本也。其務退姦、思進忠善、可一去檻穽、除削課制。」其後傳言虎相與東游度江。
(『後漢書』列伝第三十一、宋均伝)

後漢初期の話。
宋均という官僚が九江太守となったが、当時の九江は虎の害に苦しんでいて、虎を捕えたら金一封、みたいなことも行われていたらしい。

だが、宋均さんは着任するやこう命令を出した。


「虎が山にいるのは自然なことで、害をなしているのは残忍な官吏に原因があるのだ*1。それなのに虎を捕えるというりくつはおかしい。清廉な政治をして、虎退治の罠などは撤去するように」



そうしたところ、虎たちは宋均さんに心を打たれたのか、長江を渡って東へ去って行ったという。



九江から見て長江を挟んで東側にあるのはいわゆる江東である。

宋均のいる九江を避けて虎たちが移住してきた先こそ江東だったのだ。
この事件以降、江東は虎口密度が激増したのだと思われる。



*1:たぶん天人相関説的な事。