李さん一家3

1年ぶりの李さん一家
かの李さん一家にも謀反人はいたというお話。


(李)敢有女為太子中人、愛幸。
敢男禹有寵於太子、然好利、亦有勇。嘗與侍中貴人飲、侵陵之、莫敢應。後愬之上、上召禹、使刺虎、縣下圈中、未至地、有詔引出之。禹從落中以劍斫絕纍、欲刺虎。上壯之、遂救止焉。而當戶有遺腹子陵、將兵撃胡、兵敗、降匈奴
後人告禹謀欲亡從陵、下吏死。(『漢書』李広伝)

みんな大好き李さん一家の一人、李敢。
あの李広の孫に当たる。
彼もまた李広同様に勇猛さと向こう見ずで鳴らしたようだ。

しかし、彼は最終的には従兄弟の李陵の元に逃げようとしていると密告されて捕えられて死んでいるという。
李陵の元ということは匈奴への寝返りということなので、謀反人ということになる。

上報曰・・・以及(公孫)敬聲之疇・李禹之屬謀入匈奴、有司無所發。
(『漢書』車千秋伝)

さて、彼の名は『漢書』車千秋伝で、丞相車千秋に対しての言葉の中に出てくる。

「公孫敬声、李禹の輩が匈奴に逃げようと謀っていたのに、担当の者は摘発できなかったではないか」と。
彼の逃亡劇は公孫敬声と関係あるのだろうか。

(公孫)賀子敬聲、代賀為太僕、父子並居公卿位。・・・(略)・・・下有司案驗賀、窮治所犯、遂父子死獄中、家族。
(『漢書』公孫賀伝)

公孫敬声とは丞相を長く務めた公孫賀の子供である。
太僕であったが、自ら墓穴を掘って父や一族を巻き込み獄死した大馬鹿野郎と言っていい。



公孫賀伝では公孫敬声が匈奴に逃げようとしたことは記されていないが、思うに李禹と関係があり、いよいよ捕まりそうになった時に李禹に助けを求め、一緒に李陵というツテのある匈奴へ逃げようとしたのではないだろうか。