名儒

黄龍元年、權稱尊號、立為皇太子、以(諸葛)恪為左輔、(張)休右弼、(顧)譚為輔正、(陳)表為翼正都尉、是為四友、而謝景・范慎・刁玄・羊衜等皆為賓客、於是東宮號為多士。
(『三国志』孫登伝)

呉の孫権の太子孫登。彼の賓客だったという刁玄は何者か。

丹陽の人で、孫覇の息子孫基を救った孫亮との問答が有名。

(劉)惇於諸術皆善、尤明太乙、皆能推演其事、窮盡要妙、著書百餘篇、名儒刁玄稱以為奇。惇亦寶愛其術、不以告人、故世莫得而明也。
(『三国志』劉惇伝)

そして、ここで言っているように、どうやら刁玄は高名な儒者であったらしい。