行司徒事

太和四年、行司徒事、六年、拜真。
(『三国志』)

三国魏の太和四年、董昭は行司徒事となった。
どうも董昭伝の書き方だと、ずっと行司徒事のままで太和六年になって正式に司徒に任命されたようだ。

三国志』明帝紀によれば太和三年に司徒王朗が死亡してから、太和六年の董昭正式任命まで、足掛け四年にも渡って司徒は空位だったことになる。

三年以上も董昭の正式な任命が遅れたのは何故なんだろうか。
董昭に問題があったとしたら他にいなかったのだろうか。
空位で問題なかったのだろうか。