自称王

堂邑
以自定東陽、為將、屬項梁、為楚柱國。四歲、項羽死、屬漢、定豫章、浙江、都浙自立為王壯息、侯、千八百戸。復相楚元王十一年。
六年十二月甲申、安侯陳嬰元年。
(『史記』高祖功臣侯者年表)

漢の堂邑侯陳嬰。
彼は高祖と同じように土地の者に擁立され、それ以降楚の重臣となっていたが項羽の敗北後漢に属した。
その後、彼は楚において独立して王となった「壮息」なる人物を平定したという。
自称王など何人いるか分からないこの時代ではあるが、「壮息」という自称王の記録はここにしか見えない。