前漢後半に梅福という人物がいる。
彼は書経や穀梁春秋を学んだ儒者で、成帝に対してこのような建策をしたことで有名である。
周王の血筋は既に武帝により封建されていたが、同じように殷の血筋を封建すべしという主張である。
これだけなら史書に残ったかどうかも微妙だが、彼の主張は一味違う。
孔子は殷王の分家の血筋で、しかも聖人なのだから、殷王の嫡統に代わり殷の末裔として封建されてしかるべきだ、というのである。
孔子が聖人であったというのはこの時代には広く信じられていたことだが、殷王の末裔よりも殷の血筋としてふさわしいとまで言うのはなかなか大胆である。
ここまでは前フリ。
至元始中、王莽顓政、福一朝棄妻子、去九江、至今傳以為仙。其後、人有見福於會稽者、變名姓、為吳市門卒云。
(『漢書』梅福伝)
主張は大胆極まりないが折り目正しい儒者であったはずの梅福は、王莽時代にすべてを捨てて仙人になったと噂されていたのだと言う。
孔子が老子から教えを受けたという伝説も示すように、儒学と仙人への道というのは、我々が思うよりも当時は接近していたのかもしれない。