三川守李由

沛公・項羽乃攻定陶。定陶未下、去、西略地至雝丘、大破秦軍、斬李由。
(『史記項羽本紀)

あの項羽と劉邦が共に楚懐王と項梁の将であったとき、項羽と劉邦は一緒に秦将李由を攻めて李由を斬殺している。

吳廣圍滎陽、李由為三川守、守滎陽、吳叔弗能下。
(『史記』陳涉世家)

この李由はそれより以前、楚王を名乗った陳勝が派遣した呉広に滎陽を包囲されながら守りきった三川郡守(太守)である。
李由は単に郡守であったというだけではなく、洛陽や滎陽を領域内に有し、背後には函谷関を抱える後の河南郡という要地の守将だったのである。

項羽と劉邦が彼を破ったことは、秦にとっても楚にとっても案外大きなニュースだったのではないだろうか。


それに、李由の父は秦の重要人物である。

(李)斯長男由為三川守。
(『史記』李斯列伝)

李由が殺された頃、秦本国では父親李斯の方も趙高によって陥れられている。李由の敗死も李斯失脚による動揺が影響していた可能性もあるかもしれない。


ともあれ、秦本国の玄関口を守る郡守を項羽と劉邦が共同で倒したというのは運命的なものを感じる。