『続漢書』地理志によると、後漢の徐州には5つの郡国があった。
・東海国
・琅邪国
・彭城国
・広陵郡
・下邳国
地理志では東海は郡となっているが、東海王は漢末まで存続していたらしい。
つまり、徐州は広陵郡以外は全て王国であった。
これは他の州と比べても明らかに多い。
諸侯王の権力が徹底的に削減され、郡と国の間に明確な差がほとんど無くなっていたであろう時代とはいえ、一定程度の独立傾向、独自性を保持する王国が多かったという徐州の特質は、もしかすると後漢末の群雄割拠の時代などにおいても出身者や吏民の性質に多少の影響を与えた・・・かもしれない。