2009-05-11 龐公伝 後漢 三国 襄陽記曰「鹿門山舊名蘇嶺山、建武中、襄陽侯習郁立神祠於山、刻二石鹿、夾神道口、俗因謂之鹿門廟、遂以廟名山也」 (『後漢書』逸民伝注) この襄陽侯習郁って何者だろう。少なくとも検索ではここでしかひっかからない。 『後漢書』に表がないのがホント残念だ。襄陽記の著者習鑿歯と同姓なのが気になるね。