龐公伝

襄陽記曰「鹿門山舊名蘇嶺山、建武中、襄陽侯習郁立神祠於山、刻二石鹿、夾神道口、俗因謂之鹿門廟、遂以廟名山也」
(『後漢書』逸民伝注)

この襄陽侯習郁って何者だろう。少なくとも検索ではここでしかひっかからない。
後漢書』に表がないのがホント残念だ。

襄陽記の著者習鑿歯と同姓なのが気になるね。