どうでもいい思いつき

思いつきで適当な妄想をしてみた。


秦の始皇帝、二世皇帝について、その時代のほぼ唯一の信頼できる史料である『史記』には皇后が居たという記載が無い。

しかし、『漢書』では秦に皇后や皇太后の制度があったことを記している。

それはなぜか。『史記』に秦の本紀や伝が記されるまでの段階で、何らかの事情で隠蔽されたのではないか。

では誰が、あるいはどんな事情で隠蔽したのか。隠蔽できるだけの権力または立場に居たのは、相当な権力者か皇帝、さもなくば司馬遷本人である。

だが『史記』といえば漢の高祖劉邦の子捨て父見捨てなどの醜聞もしっかり取り上げていることで有名だ。

ということは、司馬遷本人が隠蔽したのだ。

何故か。きっと、司馬遷の親族が始皇帝か二世の皇后(またはその両方)と縁続きなのだ。

司馬遷の先祖は秦の司馬錯で、白起の副将も輩出している。秦ではなかなかの家柄なのだ。後宮に入り皇后となる女子が居ても不思議ではない。

だが統一秦が滅び、漢の世となってしまうと、始皇帝の皇后(もしかすると二世の皇后や二世の母かもしれないが)という名は極めつけの悪名になってしまう。司馬遷の家はそのことを隠し、『史記』でもそれがバレないように細工したのだ。きっと。