諸侯相

前漢の諸侯王の国を治めるのは相(諸侯相)。
民を治めるのは内史。

あれ?と一瞬思うが、これはこういうこと。

内史というのは首都圏の民政長官(都知事みたいなものか)。
前漢初期では諸侯王の国は複数の郡を含んでおり、おそらく内史はそのうち都の近辺の直轄領を治めたのであろう。他の郡はもちろん郡太守がいたはずだ。
諸侯相はその内史、郡太守、諸卿全ての上に立つ宰相だったのだ。

だが、諸侯王の国がどんどん細分化され、しまいには一つの郡より小さくなってしまうと、諸侯王の国は内史の管轄=全土になる。
そうなると、諸侯相と内史が分離している理由が無くなってしまうので、成帝の時の内史廃止ということになったのだろう。

晋の時代になると諸侯相が内史へと改称されるが、これはもしかすると「太守」と官名の文字数を揃えるためなんだろうか。