孔丘先生〜その誇り高き血統

時匡衡議以為「王者存二王後、所以尊其先王而通三統也。其犯誅絶之罪者絶、而更封他親為始封君、上承其王者之始祖。春秋之義、諸侯不能守其社稷者絶。今宋國已不守其統而失國矣、則宜更立殷後為始封君、而上承湯統、非當繼宋之絶侯也、宜明得殷後而已。今之故宋、推求其嫡、久遠不可得。雖得其嫡、嫡之先已絶、不當得立。禮記孔子曰『丘、殷人也。』先師所共傳、宜以孔子世為湯後。」
(『漢書』巻六十七、梅福伝)

殷王の子孫を封建したいけど、(殷王の末裔である)宋の血統は滅んだ国の血統だから相応しくないな。⇒せやな



それに宋の血統といってもずいぶん昔の事でもう分からんな⇒せやな



孔丘先生は「ワイは殷の人間や」って言ってたから、孔丘先生こそ殷王の子孫として封建するにふさわしいな⇒は?





このあたりの論理がどうも理解できない。





「孔丘先生は殷王の正統なる子孫だからこそ聖人だったに違いない」みたいな思考でもしていたのだろうか?*1





*1:先生の両親の婚姻について「野合」と呼ばれている事は忘れておこう。