宣陵孝子

市賈民為宣陵孝子者數十人、皆除太子舍人。
(『後漢書』紀第八、孝霊帝紀、熹平六年)

後漢霊帝の時、「宣陵孝子」という存在があったそうだ。



二月辛酉、葬孝桓皇帝于宣陵、廟曰威宗。
(『後漢書』紀第八、孝霊帝紀、建寧元年)

「宣陵」とは霊帝の先代である桓帝の皇帝陵のことなので、「桓帝陵の孝子」ということになる。



「民を金で買い取って桓帝陵の孝子とした」、という意味に思われるのだが、いったい彼らは何をするために集められたのか?

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