漢の霊帝中平6年4月、霊帝が崩御する。ここから後漢末の混迷が本格化するわけだが、この年は改元を何度も重ねた珍妙な年としても知られる。霊帝死後に皇子弁が即位すると、すぐに「光熹」と改元している。 実は漢においてこれまでは皇帝が代替わりした「翌年…
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