寝室に入れたワケ

周仁、其先任城人也。以毉見。景帝為太子時、為舍人、積功遷至太中大夫。景帝初立、拜仁為郎中令。仁為人陰重不泄。常衣弊補衣溺袴、期為不潔清、以是得幸、入臥内。於後宮祕戲、仁常在旁、終無所言。
【注】
服虔曰「質重不泄人之陰謀也。」張晏曰「陰重不泄、下溼、故溺袴、是以得比宦者、得入後宮也。仁有子孫、先未得此疾時所生也。」師古曰「張・服二説皆非也。陰、密也。為性密重不泄人言也。霍去病少言不泄、亦其類也。」
師古曰「故為不虜清之事而弊敗其衣服也。溺讀曰尿。尿袴者、為小袴。以藉其尿。」
(『漢書』巻四十六、周仁伝)


漢の景帝の頃の周仁という人物は、とても口が堅かったそうだ*1




そして、敢えて衣服を不清潔にしていたばかりか、いつもオムツに排尿していたのだそうだ。




景帝はそれを理由に彼を寵用し、皇帝の寝室内にまで彼を入れて後宮の「秘戯」*2にも立ち会わせたが、周仁はそれについて一言も他言しなかったという。






この文章だけでは、まるで景帝はおもらし系男子愛好家オムツ派という相当のレベルに達した性癖の持ち主であるかのように思えてしまうのだが、少なくとも後漢末(張晏)の解釈では「下半身の病気でおもらし系男子になっていた点から宦官と同じ(イチモツが重労働に耐えない)とみなされて、宦官のように皇帝の寝室にまで入ることを許された」ということらしい。






良かった!景帝の性癖は関係ないぞ!




なお周仁は「佞幸伝」にも景帝にとって唯一の佞幸と書かれている模様。




*1:「為人陰重不泄」のことだが、これについては『史記』『漢書』注で諸説ある。

*2:皇帝の寝室で行う「秘密の遊び」っていかがわしい想像しかできないのだが、まあそれは置いておく。