泗水戴王前薨、以毋嗣國除。後宮有遺腹子煖、相・内史不奏言、上聞而憐之、立煖為泗水王。相・内史皆下獄。
(『漢書』巻七、昭帝紀)
「遺腹子」という言葉がある。
つまり、父が一発着床ののち分娩前に死亡し、その後産まれた子のことである。
父が母のお腹に遺した子、というわけだ。
前漢の王や列侯の相続は末期養子などを認めず、後継者になるべき子がいなかった場合には国は取り潰しになっている。
その例外がこの「遺腹子」であったらしい*1。
上記の例では、一度お取り潰しになった王国の王に実は「遺腹子」がいることが発覚、王国が復活しその「遺腹子」が王になると共に、その存在を隠蔽していたという王国の大臣は獄に送られている。
この「遺腹子」に相続を認める特例は現代日本でも機能している*2。
現代民法に残る特例が紀元前からの決まりであるというのは興味深い。