七日大司馬

時はまさに世紀末。
前漢哀帝の元寿元年11月、罷免された外戚丁明に代わり大司馬車騎将軍に選ばれたのは韋賞。この時80歳以上のご高齢。
丞相韋賢の孫、丞相韋玄成の甥というサラブレッドである。

彼が大司馬車騎将軍に抜擢されたのは軍事に長けていたからではない。
彼は哀帝の諸侯王時代の太傅だったという縁故があったのである。
というかこの年齢では軍事面では能力に期待も何もないであろう。

で、韋賞は11月壬午に大司馬車騎将軍に就任。
そして、同年己丑に死亡。
つまり就任から7日後にはお亡くなりになっている。まあ80歳以上では仕方がないか。

元々寿命が尽きかけてたのか、それとも就任式に出たのが悪かったのか。これではワンポイントリリーフにもならない。
そして次に大司馬衛将軍になったのがあの董賢である。

もしかすると、哀帝は「あー元家庭教師にやらせてみたけど死んでしまった。やっぱ老人ではダメだな。大司馬は若い奴にやらせた方がいいな!!」とみんなに思わせ、20代の若者でしかない董賢の大司馬就任を正当化しようとしてわざと死にかけの老人を大司馬にしたのだろうか。