青州黃巾

初平二年、黃巾三十萬衆入郡界、劭糾率文武連與賊戰、前後斬首數千級、獲生口老弱萬餘人、輜重二千兩。賊皆退却、郡內以安。
(『後漢書』応劭伝)

(初平三年)青州黃巾衆百萬入兗州、殺任城相鄭遂、轉入東平。
(『三国志武帝紀)

思うに、泰山太守応劭が初平2年に撃退した黃巾30万とは、あの曹操が降伏させたと言われる青州黃巾100万の一部(曹操が下した卒は30万とされている。応劭が迎撃したのが卒30万だとすると辻褄が合う)ではないだろうか。

もしそうだとすると、青州黃巾は泰山郡に侵入しようとして応劭に阻まれ、その後任城相や兗州刺史を殺し、それから曹操が立ち向かった、ということになる。

応劭が物凄いのか、この時の青州黃巾は郡太守がガチバトルを挑めば五分五分くらいの確率でどうにかなる相手だったのか、それとも1年の間に人数が3倍に膨れ上がったのか。