諸侯王、夜の生活

膠西于王端、以孝景前三年呉楚七國反破後、端用皇子為膠西王。端為人賊戻、又陰痿、一近婦人、病之數月。而有愛幸少年為郎。為郎者頃之與後宮亂、端禽滅之、及殺其子母。
(『史記』巻五十九、五宗世家)


前漢景帝の子の一人、膠西于王劉端。




彼はどうも性的機能が万全ではなかったらしく、ひとたび女性を近づけると数か月も体調が悪くなったらしい。




その一方で愛幸する少年(意味深)は郎にしてやったが後宮の女性とイチャラブしていたので王は怒って彼の母も含めて殺してしまったそうだ。







女性とのセックロスは満足に行えないが、少年となら問題がないということなのか・・・?




ということは、この王はおそらく専ら自分の玉門関を少年に突貫させることで性的満足を得ていたのだろう。




その相手が「やっぱ俺ホントは王の玉門よりも女性の方がええんですわ」と言い出したわけだから、王が逆上するのも理解できるような気がする。