義陽

(王)莽下書曰「常安西都曰六郷、衆縣曰六尉。義陽東都曰六州、衆縣曰六隊。・・・(後略)
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)

どうやら、王莽の時代に洛陽近辺のことを「義陽」と呼び、長安こと「常安」と合わせて東都・西都と並び称していたらしい。



其立安為新遷王、臨為統義陽王、幾以保全二子、子孫千億、外攘四夷、内安中國焉。
(『漢書』九十九下、王莽伝下)


王莽の息子王臨が皇太子から遷された「統義陽王」は、どうやら「洛陽近辺を統治する王」という意味のようだ。

王莽は息子に東都の責任者をやらせようとしたのだろう。