ひとこと

最晩年の曹操は、自分または子が皇帝になるための方法として、「皇帝(献帝)から禅譲を受ける」「皇帝をころしてでもうばいとる」「皇帝を無視して勝手に名乗る」の3つを考えていて、献帝の出方や周囲の情勢などによって選ぼうと思っていたんじゃないか、などと思う。



少なくとも「自分は皇帝にならず、後継者が禅譲を受ける」(すなわち実際のルート)一択だったとは思えない。