最強の妻

犍為盛道妻者、同郡趙氏之女也、字媛姜。
建安五年益部亂、道聚衆起兵、事敗。夫妻執繫、當死。媛姜夜中告道曰「法有常刑、必無生望、君可速潜逃、建立門戸、妾自留獄、代君塞咎。」道依違未從。媛姜便解道桎梏、為齎粮貨。子翔時年五歳、使道攜持而走。媛姜代道持夜、應對不失。度道已遠、乃以實告吏、應時見殺。道父子會赦得歸。道感其義、終身不娶焉。
(『後漢書』列伝第七十四、列女伝、犍為盛道妻)


益州は犍為の人盛道の妻趙氏は、夫が反乱に失敗して一家揃って捕まった際、夫の拘束具を外し、食糧や金を用意し、幼い息子も一緒に逃がしてやり、逃亡がすぐ露見しないようにと自分だけが残ることにした、という。


建安5年というから、後漢末というか三国時代というか、といった頃の話だったことになる。




最終的にこの趙氏は夫が遠くに逃げてからその逃亡を自ら告白したため、趙氏はすぐ殺された。




もしかすると、自分が生きていたら人質になって夫の逃亡の邪魔になるかもしれないと考えて敢えて速やかな死を望んだのかもしれない。




それはともかく、一緒に捕まって一緒に拘束されていたように見えるのに、発見されることなく夫の拘束を外し、逃亡の用意まで済ませるというのは只者ではない。


拘束具や檻を力で一瞬のうちに破壊するようなパワーと、見つからずに食料や金を奪い取ってくるテクニックを兼ね備えたタイプの妻だったのだろうか?超一流のスパイとか暗殺者とかになれるんじゃないか。




正直、能力という点では盛道本人よりも得難い人材だったのではなかろうか。