父為利漕、利漕民郭恩兄弟三人皆得躄疾、使(管)輅筮其所由。
(『三国志』巻二十九、方技伝、管輅)
ここの管輅の父がなっていたという「利漕」「利漕民」とは何なんだろうか。
なんでも曹操が作ったという運河が「利漕渠」というそうだが、そこの官吏あるいは所属の民ということなのか?
「利漕民」はその運河を作るために動員でもされていた者のことなのだろうか?
どうもピンとこない。「利漕民郭恩」は学のある人物とされていて、運河を作るために動員されていた民、という感じでもないし・・・。
やはりよくわからない。自分だけだろうか?