丁儀の転任

及太子立、欲治(丁)儀罪、轉儀為右刺姦掾、欲儀自裁而儀不能。乃對中領軍夏侯尚叩頭求哀、尚為涕泣而不能救。後遂因職事收付獄、殺之。
(『三国志』巻十九、陳思王植伝注引『魏略』)


曹丕が王になったとき、曹植立太子運動の中心人物丁儀を殺そうとし、彼を「右刺姦掾」とした、という。

又置外刺・刺姦、主罪法。
(『続漢書』百官志一、将軍)


この「右刺姦掾」、もしかして将軍の属官だろうか?




おそらく、尚書という要職中の要職からの転任としてはとんでもない左遷なのだろう。



つまり丁儀はその屈辱と将来の悲惨な結末を避けるために自殺を選ぶか、あるいはその「右刺姦掾」の仕事上での罪をいずれ摘発されて罪人になって死ぬか、いずれかである、ということか。