曹丕の努力

魏有天下、拝(王)象散騎侍郎、遷為常侍、封列侯。受詔撰皇覽、使象領祕書監。象從延康元年始撰集、數歳成、藏於祕府、合四十餘部、部有數十篇、通合八百餘萬字。
(『三国志』巻二十三、楊俊伝注引『魏略』)


曹丕自らの命により編纂された『皇覧』は、延康元年から作り始められていたのか。



つまり曹丕が魏王になってから禅譲前までの間である。




このタイミングでの開始というのは、曹丕自身が単独で決定できるようになったからという面もあったかもしれないが、「皇帝になるにふさわしい能力と実績の持ち主なのだ」というのを文化事業の面で示すために行われた、ということなのかもしれないな・・・。





昨日記事にした狩猟は軍事的な面でのアピールで、『皇覧』は文化的、知性的な面でのアピール、というところか。



初代ではなく世襲で王になったのにも関わらず新たな王朝の開祖になるという、よく考えるとなかなかの困難な事業を成功させるため、曹丕はあれでも結構それなりに苦労していたのかもしれない。