暴君エレジー

三国呉の潘濬は孫権の雉狩りの趣味をやめるよう諫言し、孫権は最初は「ちょっとだけだから!先っぽだけだから!」などと言っていたが、潘濬の強硬手段に折れて雉狩りをやめるようになった、という話がある。




諫言などの話は、たいていはこのように「君主の不興を買うことも恐れず諫言する直臣と、臣下の言葉に耳を傾けて過ちを改める君主」というセットで、臣下と君主の双方を「上げる」ような構成になることが多い。





ということを前提にすると、『三国志』鮑勛伝に見える「喪中に狩猟に興じる曹丕を諫言する鮑勛、しかし曹丕は改めず、鮑勛を側仕えから追い出した」という話が、潘濬の例とは真逆であり、暴君・暗君の類の行動にしか見えない、というのが分かる。





三国志』は、「魏の皇帝は初代から割と暴君寄りですよ」というのをサブリミナルに伝えようとしている側面があるんじゃないか、と思う。


そうでないとすれば、「ただ素直にエピソードを紹介するだけで魏帝の暴君ぶりが伝わってしまう」ということになる。