もうひとこと

昨日のことの続きになるが、劉備が襄陽も江陵も占拠できること前提なの、結局は「曹操に降伏したかった者は荊州の中でいえば思ったより少数派である」ということなのかもしれない。


逆に言えば劉備こそ荊州においては多数派、主流派だったのでは。



曹操に降伏せず抵抗しようとする劉備は味方、もっと言えば旗印という認識が、荊州首脳陣の一部(降伏派)以外では共有されつつある状況が既にあったのでは。



だからこそ劉備に降伏の話を知らせず孤立させようと企んだのかもしれない。




まあただの思い付きみたいなものだが。