ひとこと

孫晧は自分の時代の王たちに兵を供給した、とされている。



しかし、孫晧自身の息子はまだ幼少の者が少なくなかったはずであり、王の代官(相)などが代わりに率いたのかもしれないが、本来期待したであろう「藩屏」としての役割はあまり期待できなかったのではないか。



そういう点からしても、実は孫晧時代の王には案外本人が分別の付く年齢=孫晧の弟、甥、従兄弟といった、直系以外の者もかなり多かったのではないだろうか・・・。