献帝の嘆き

(曹)操追大怒、遂逼帝廢后、假為策曰「皇后壽、得由卑賤、登顯尊極、自處椒房、二紀于茲。既無任・姒徽音之美、又乏謹身養己之福、而陰懷妒害、苞藏禍心、弗可以承天命、奉祖宗。今使御史大夫郗慮持節策詔、其上皇后璽綬、退避中宮、遷于它館。嗚呼傷哉!自壽取之、未致于理、為幸多焉。」又以尚書令華歆為郗慮副、勒兵入宮收后。閉戸藏壁中、歆就牽后出。時帝在外殿、引慮於坐。后被髮徒跣行泣過訣曰「不能復相活邪?」帝曰「我亦不知命在何時!」顧謂慮曰「郗公、天下寧有是邪?」遂將后下暴室、以幽崩。
(『後漢書』紀第十下、皇后紀下、献帝伏皇后)


思ったのだが、伏皇后が皇帝の地位を奪われた時、「中宮を退いて他の館へ行け」と命令されている(多分、その館で自殺する手筈だろう)ように思うのだが、尚書令華歆は兵を率いて宮殿内に入って隠れた伏氏を連行しているように見える。



つまり、「中宮を退く」前から連行されているのではないか?




伏氏が隠れようとしたらしいのも、往生際が悪いというよりは、「本来の手続きを無視した強制連行が行われようとしている」からだったのでは?



献帝の郗慮に対しての「こんなことがあっていいのか」という嘆きも、皇后が殺されるということ、あるいは連行されたこと自体ではなく、「曹操が皇后の廃位・自殺の手続きを完全無視している」ことへの恨み言ではなかろうか?